コミュシル

児童虐待を受ける子どもたち

児童虐待

「その子」は、短く刈り込んだ丸い頭に人懐こそうな細い瞳を持ち、ごく普通の小学校高学年の一人だった。
ただ、2か月前から時々うっすらと青いアザを腕や脚につけて登校するようになり、異変に気づいた担任は職員室で校長に報告していた。職員室にいる教師たちも無関心ではいられない。皆、机から顔を上げて、校長と担任のやりとりを見つめていた。

児童虐待の問題は、家庭という聖域に踏み込むため、非常にデリケートな領域である。
そのため勘違いが許されない。それ故に、行政も学校も慎重にならざるを得ないのだ。
文部科学省の定めた「虐待防止に関する学校等の役割」において、学校や教職員は虐待を発見した場合、速やかに福祉事務所または児童相談所へ通告しなければならない義務があるが、その時まさに職員室の皆の脳裏に「そうかもしれない」という想像が浮かんだのだ。

そして、ある日の朝。
「その子」は片目を青黒く腫れ上がらせて学校に登校し、学校側はそのまま児童相談所へ通告することとなった。「その子」は保護され、そのまま転校していった。
その後、暴力を振るっていた父親は学校に詰め寄り、子どもが保護された施設名を聞き出そうとした。しかし、実のところごく一部を除いて殆んどの教師には転校後の入所先まで知らされなかった。虐待を受けた子どもの身の安全をはかるということは、そういうことなのである。

児童虐待が深刻な場合、こうして学校や地域などのコミュニティと子どもは、やむを得ず突然切り離されてしまう結果に終わる。親子関係の断絶のみならず、今まで住んできた地域との断絶にもなってしまうのである。「その子」がいた歴史は、やがて数人の記憶の中にだけ残り、静かに消えていく。

「その子」が、あの後どんな人生を送っただろうかと考えるときがある。
自分が受けた心と体の痛みに、まだ苦しむ夜があるかもしれない。
そのために、人を心から信じたり愛したりができずに苦しんでいないだろうか。

多くの子ども達を見てきて思うのが、例え親から虐待を受けても、子どもは心の底では親を憎み切れないことが多く、切なくなるときがある。

私の心の引き出しには、教師時代の楽しい思い出と共に、こうした辛く忘れられない思い出も大切にしまっている。やはり、忘れてはいけないこともあるのだ。

ABOUT ME
おおつかけいこ
教師歴10年の経験をもつ教育者。ライティングの「ものかき」でマネージャーを務めるほか幼児教室も主宰
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