近所
今住んでいる街に引っ越して数年が経ち、近所の老夫婦にはいつもお世話になっている私たち。
子ども達は“お隣のおじいちゃん、おばあちゃん”が、本当に大好きで、事あるごとにお隣に遊びに行こうとするくらいです。
今の私のような核家族の子育て世代は、仕事の関係者と、子どもを通して知り合った同年代のママ友や幼稚園保育園の先生方など、日頃は関わる世代がある程度限定されがちかもしれません。
そんな状況だからこそ、子ども達にとっては“お隣のおじいちゃん、おばあちゃん”の存在こそ新鮮であり、まさに「遠くの親戚より近くの他人」なのです。
ある日の週末、私が子どもの習い事に行く準備でバタバタしている間、ふと見ると子ども達は既に外へ。見ると“お隣のおじいちゃん”が、子どもの自転車に乗る練習をするところを見守ってくれているではありませんか。
そして追いかけてきた私に気づくと、「大根好き?良かったら持っていかない?」と言い、お庭で作っている大根を引き抜いてくれました。
土から引っこ抜かれたばかりの大根は、こびりついた黒い土の合間から真っ白い色が際立ち、根本からは葉っぱが放射状にびっしりと生え広がって、みるからに新鮮な大根でした。こんなやりとりが、東京23区内のとある街で今も日常的にある、というところが、この街の良さであり、人の温かさを感じさせてくれるのです。
またある日のこと。子どもと歩いていると、ざるに入れられた鮮やかな黄色のポンカンが、とあるお宅の玄関前に置いてあるのが目に入りました。そしてその横には、「今年もとれました。酸っぱいものもありますが、甘いものもあります。よろしければどうぞ」の文字が書かれた木の板が添えられてありました。
まるで、私の今は亡き祖母の田舎のような、のどかな平屋家屋が連なるそんな風景を、東京でお目にかかるとは思いもよりませんでした。私は子どもに「1つもらっていく?」と聞くと、子どもはコクンと頷き、小さな手できれいな黄色のポンカンを選びました。
代々昔から住む人々が多い街は、ご近所さん同士の人間味あるおつきあいが残っていて、田舎育ちの私にはとても親近感を感じる場所です。畑で採れた野菜を持ち寄ったり、地方の親戚から送られたものをご近所にお裾分けしたり、そんなささやかなヨコのつながりがあるのです。
でも、そんなこの街もここ1~2年でかなり変化したように感じています。
古くて大きなお屋敷が、徐々に街並みからなくなり、残った跡には土地を分譲して新たな家やマンションが立ち並ぶようになってきました。
人々の温かさが残る、この街の記憶を、子育て世代の私たちがどのように継承できるのか、恩恵を受けるばかりの私にはまだわかりません。
でも、今この街でまだ残っている温かさに子どもを包んでもらいながら、私もいつかはお世話を「してもらう側」だけでなく、「する側」になれたら、と思います。
