コミュシル

「見当たり捜査」を知っていますか?

見当たり捜査

まだ底冷えするくらい寒かった冬の日に、どさくさに紛れてチラシ配りを頼まれてしまった。しかも通りを行きかう人に渡してほしいという。こういうのは正直苦手だから断ろうとしたのに、あれよあれよと気がつけば話を受けてしまったのだ。

持ちつ持たれつ…こうなったら仕方ない。チラシの端っこにアメをホチキスで黙々と留めていく。そしてネットでチラシ配りのコツを検索してみる。

笑顔で目線を合わせて、なにを配っているのか端的に伝えることが大事だという割と基本的な事だったり、世の中右利きが多いので「右手側に差し出すようにする」という、なるほどなというものもあり、調べているとなんだか少しずつ興味が湧いてくる。

その中でも印象的だったのは、世の中には「チラシ配りの女王」と呼ばれるカリスマがいるのだという記事だった。英会話教室のチラシを配っているらしいが、なんと通行人に差し出せば8割がた受け取ってもらえるという。

それであれば私だって同じ人間なわけで、配るのも同じ英語関係のチラシ。2割くらいは受け取ってくれるだろう。指定された場所はかなりの通行量だし、なんだかんだでちゃっちゃと捌けるのではと高を括ってトライした。

雑踏の中で見当たり捜査を思い出す

実際にその場所に行ってみると、まるで弾幕系シューティングゲームのようにかなりの数の通行人がそのエリアに流れ込んでくる。普段人混みのなかを歩くことはあるけれど、一人ひとりにフォーカスしてアクションを起こすということはないので、あまりの圧力に怖気づいてしまう。

そして見事に受け取ってもらえない。受け取ってくれる人は2%くらいである。ここにきて女王とは雲泥の差があることを身をもって実感した。あまりに素通りされるので透明人間になったような心持になる。世の中には星の数ほど人はいるけれど、たとえば挨拶をし合える関係になる人すら一握りに過ぎず、ほぼすべてが通り過ぎていってしまうだけなんだなと、なにか人間の在り方を垣間見たような寂しい気持ちになった。

そんななか「見当たり捜査」の事をふと思い出す。大阪府警の捜査員が指名手配犯の顔を記憶して、来る日も来る日も雑踏に入り込んで彼らを捜し続けるという執念の捜査方法のことだ。にわかには信じがたいが導入から40年、摘発者数は4千人を超え、今でも年間100人程度を摘発していて、誤認逮捕は今まで一度もないという。

見当たり捜査における「鳥の目」「虫の目」「魚の目」

ルーペで指名手配犯の顔の特徴を脳裏に焼き付けているので、街中ですれ違った瞬間あたかも友人と顔を合わせたときのようにピンと体に衝撃が走り、捕まえることができるというからアナログの極みのような話である。

捜査員1人が覚える指名手配犯は400~500人だそうで、人によっては何度も写真に語りかけて、変装や加齢により様変わりする容疑者の逃走中の姿を想像し「会いたい、捕まえたい」と一方的にコミュニケーションをとり続けるという。そしてまた雑踏の中を泳ぎ回る。

なんという執念だろう。たくさんの捜査員が派遣されて血眼になって探したが見つからずに諦めていたような手配犯を見当たり捜査で捕まえる事もあるというから、その眼力はちょっとした猛禽類のようだ。

#DeleteFacebook

そう考えると、私の頭の中には何人くらいの「顔」が鮮明に焼き付けられているのだろうか。なにか積極的に人間関係を維持する上でのヒントがそこにあるような気がした。

私が使用している複数のSNSをすべて合わせれば、それだけでも1000人近くが「友人」として登録されているが、あまりにシステムの便利さに頼りすぎているのか、街中で出会っても素通りしてしまう人もいるだろう。そもそも最近話題になっている「#DeleteFacebook」に乗っかって、SNSから誰かが消えてもおそらく私はまったく気づけないと思う。

ふいに声をかけられたとして、誰だったかピンと来なくて、冷や汗をかきながら脳内検索をかけるなんていうことも身に覚えがある。「見当たり捜査」をする人たちに比べて、なんて受け身な人間関係なのだろうか。

真砂なす数なき星のその中に

ついに最後の1枚になったが、1枚のチラシを渡すモーションがチラシ配りをしているように見えないのか、怪しまれて20分以上経過していく。日も暮れて焦ってくるがうまくいかない。神経を研ぎ澄ませて、行きかう人たちの表情に注目する。そんな時、前方からこちらに声をかけようとする人がいて、それと同時に体に衝撃が走る。

大学の頃の友人だった。「見当たり捜査」はこんな感覚なのだろうか、彼が近くで働いていることは知っていたが、単身赴任で週末は家族のもとに帰るので、あまり会う機会をもてずに気になっていた。

なにやら一週間分の食事を冷凍して運ぶのだとクーラーボックスのようなものを抱えていて、軽く立ち話をすると余裕がなさそうに立ち去ったが、それでもこの雑踏の中でお互いに見つけられたことに感動すら覚えた。

正岡子規の「真砂なす数なき星の其中に吾に向かいて光る星あり」ではないが、私に向かって光っている星があるのだという少し大げさな気持ちになったのだ。今日次々と顔を合わせた数千人の人たちをすべて束ねても、誰かと会ったという感覚は、この友人の1%にも満たないのだと痛感した。

当たり前かもしれないが「青い夜空は星の海よ、人の心は悩みの海よ」という人生の中で、あっさりと見つけてくれるような関係は掛け替えのないものだ。彼に英語を勉強する必要があるのかは分からないがチラシを受け取ってもらいやっと解放された。

SNSをDeleteできてしまえるほどに人間関係が重くだぶついてるように感じられるのは、あまりに便利なシステムに頼りすぎて人間関係の基礎体力が落ちているからなのかもしれないなと、帰り道にそんなことを考えさせられた。

ABOUT ME
関口オーギョウチ
埼玉在住。サブカルやマイノリティがつくるコミュニティに関心あり。矯めつ眇めつそこに宿る魂に触れたいなと思ってます。
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