雪かき
Nobady is going anywhere
Traffic is stationary
Go home
Make bread
Make jam
Eat it
That is all.
数年前、イギリスの鉄道でおきたストの際、駅員によって案内板にこう書かれていたそうだ。
「誰もどこにも行けない。電車は動かないからね。家に帰ってパンを焼いてジャムを作ってそれを食べててね。以上」
なんてぶっきらぼうな対応だと思う反面、大雪の日に大混雑する鉄道で出社するストレスを考えると、日本でもこれくらい強気で運休をしたほうがトラブルが避けられるのではないかと、ふと思ってしまう。もちろんそんな事が易々と許されるお国柄ではないのは承知しているけれど。
さて1/22の大雪から10日経つが、東京は「記録的な雪解けの遅さ」なのだそうだ。たしかにこう寒い日が続くと残ってしまうのだろう。それにしてもやはり首都圏は雪に打たれ弱い印象がある。当日の混乱はもちろんの事、その後もダメージをズルズルと引きずってしまう。
場所によっては日陰の道に雪が氷のようなガチガチの状態で残り、すでに手の施しようがないなという諦めムードが漂っている。解けてなくなるのをただ待つというアプローチの弱さも、雪に慣れていないからなのだろうか。たしかに降らない年もあるくらいだから仕方のない事なのだと思う。
ただ、歩く分にはまだ避けようもあるが、車に乗っているとそうもいかずスリップしてヒヤッとさせられる。通行人とすれ違う際は尚更だ、そんななかで気づくのは、日陰でもしっかりと「雪かき」がされている道と、そうでない道の差についてだ。残雪にはその街のウィークポイントが文字通り浮き彫りになっているようにも感じられる。

雪かきシャベルの便乗値上げは容認できるか?というアンケート調査によると
話は変わるがリチャード・セイラーの著書「行動経済学の逆襲」では、オンタリオ州に住む数百人の住人を無作為に対象として選んで行った電話アンケートについて紹介されている。
質問:「金物屋はこれまで雪かき用のシャベルを15ドルで売っていました。大雪が降った翌朝、この店はシャベルを20ドルに値上げしました。この行為に対してあなたはどう思いますか?」
それに対して「容認できる18%」「不公正である82%」だったそうだ。いわゆる「便乗値上げ」だと考える住人たちの怒りを買ってしまうのである。
但し、経済学の観点から考えると、真逆の結果になるのが興味深い。
ある経済学のクラスでこう投げかけたとしよう「雪かき用シャベルの供給が一定である中で、需要が急増する。この場合、価格には何が起きるか?」そのクラスでの模範解答は「その価格を支払ってもいいと考えるすべての人が雪かき用シャベルを手に入れるまで、価格は上昇する」これが正解。
実際に、オンタリオ州の住人にした質問を同じくMBAコースのクラスでしたところ、学生たちの反応は「容認できる76%」「不公正である24%」だったそうだ。
まさに理論に捉われて正しい判断ができなくなる「理論による眩惑」だと思う。「雪かき用シャベルの価格」にシングルフォーカスして、肝心の「雪のリスク」や「地域の雪かき」についてすっかり見失ってはいないだろうか。雨の日に割高なビニール傘を売る事とは問題の本質が似て異なるのだ。

ご近所さんと一緒にBBQは行けないけれど
なんにしても地域に奉仕するボランティア活動は、損得勘定に捕らわれると、たちまち豊かさから遠のいていくような感覚がある。「雪が積もる。朝少し早起きをする。ごちゃごちゃ考えず雪かき用シャベルをもつ。除雪する。元気があれば近所まで手を伸ばす。以上」というスタンスでシンプルに取り組めればそれでいいのではないかと思う。
それでも得られるものもたしかにあるのだ。雨降って地固まるではないが、首都圏での積雪は、地域コミュニティの脆弱性を見つけ出し、「レジリエンス(自己回復力)」を得られる絶好の機会ではないだろうか。
実際、前回雪が積もった際に、ご近所さんたちと雪かきを一緒にした体験は非常に有意義だった。普段、挨拶程度の付き合いしかしてない間柄なのに、協働することにより短い時間で信頼関係が強まったし、雑談もできた。個人的にはBBQの準備をする時のような楽しさがあった。
ついでに手を伸ばして、隣接する保育園の前も、親御さんたちが子供を預けに来るまでに、職員さんたちと一緒に汗をかいて除雪を終わらせた。それを通して地域への愛着が深まったように感じられた。なんと手応えのあるボランティアだろか。とはいえ慣れていないからか雪かきは重労働だった。心臓にも負担を与えるだろうから若い人たちが積極的に参加する事が好ましいのだろう。
雪かきをしながら例の質問についても頭をよぎったが、もし近所の金物屋が便乗値上げしたとしても、感情的にならずに、商売に勤しんでいるその通りを黙々と除雪すればいいんだろうなと、自分にとってはそれが正解のような気がした。地域のために汗をかいた体験のある人は、例えばMBAコースで学びながらも決して「理論による眩惑」に陥ることはなく、きっと本当に豊かになるための選択をするのではないかと思う。
