「生きることは、託すこと。」「生きることは、託すこと。」
一人で住むことはできても、一人で生きることはできない。
誰もが人生の一部分を、信じられる誰かに託し、託された誰かも、信じてくれたその人のために、人生の一部分を費やしてこたえている。そうやって、楽しみや喜びをふくらまし、悲しみや辛さを小さく分け合う。
託したり、託されたりするから、生きていけると思う。これからも、その幸せを、守り、育み、広げていきたい。
大東建託が新しいブランドメッセージを「生きることは、託すこと。」に決定して、先週から新CMも打ち出してるみたいですね。一人では生きていけないってニュアンスは、ややもすれば一部の人からは突かれそうですが、これについて自分は躊躇なく白旗をあげるタイプの人間なので、素直に共感することができます。
このフレーズでふと頭に浮かぶのは、イエスがパンを増やす奇跡のこと。個人的には、その人にそんな力があったとはとても思えないけど、楽しみや喜びをふくらまし、悲しみや辛さを小さく分け合うことを教えるのには、きっと長けていたんじゃないかなと。
国家天下をああだこうだと語る人ってよりも、対ローマからくる政治的な緊張や、派閥間の摩擦、教条の理不尽さ、息苦しさ、不平等や格差で、船底に亀裂が入って傾いていくイスラエルのなかで、小さな共同体をいくつもつくって調和を取り戻そうとしてたように読みとれるんですよね。
弱者とされる人たちだけでなく人間の弱さそのものをその円に受け入れ、大切なことがうっかり分からなくならないように、人間らしく生きることを目指したんじゃないかなってのは、自分の都合のいい解釈なのかもしれないけど。
「みんなを組々に分けて、青草の上にすわらせるように命じられた。人々は、あるいは百人ずつ、あるいは五十人ずつ、列をつくってすわった」
5000人に対して、あえて組に分けて座ってもらってからパンを配るスタイルとかに、なんとなくそんなことを感じたりします。神学的にはいろんな解釈があるんでしょうけどね。
