コミュシル

映画「マディソン郡の橋」~言葉の先にあるコミュニケーション~

映画「マディソン郡の橋」

コミュニケーションの基本は、言葉を交わし合うということ。
しかし時には、そんな言葉すら不要になってしまうような出会いが存在します。
それは、一目で相手と心が通じ合ったと感じること。
つまり、「運命」だと思えること。

今回ご紹介していく作品は、そんな出会いを描いた映画「マディソン郡の橋」です。
今作はその内容から賛否両論はあるものの、世界的に高い評価を得た恋愛映画です。

この記事では、映画『マディソン郡の橋』で描かれる言葉だけにとどまらないコミュニケーションの形について考えていきたいと思います。

映画「マディソン郡の橋」の作品概要

映画『マディソン郡の橋』は、1995年に公開されたアメリカの恋愛映画です。
たった4日間の運命的な恋愛を描き、「不倫」がテーマではあるものの、世界的な大ヒットを記録しました。
原作は、ロバート・ジェームズ・ウォラーの同名小説です。

監督&主演は「ダーティハリー」や「グラン・トリノ」のクリント・イーストウッド。
ダブル主演として、「プラダを着た悪魔」や「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」などに出演したメリル・ストリープ。
二人の微妙な目の演技が、今作の雰囲気を見事に操っています。

映画「マディソン郡の橋」のあらすじ

1989年。
亡くなった母・フランチェスカの葬儀のため、長男のマイケルとその妹であるキャロリンは、故郷であるアイオワを訪れました。
そこで明かされたのは、フランチェスカの驚くべき真実。
兄妹はフランチェスカの日記を読み、母の「永遠の4日間」のことを知っていきます。

時はさかのぼること1965年。
アイオワ州の農婦・フランチェスカは、家に一人きりでした。
家族皆が泊りがけで外出したため、作物の世話を一人で担っていたのです。

そんな彼女の元に、1人の男性が現れます。
その男性の名前はロバート・キンケイド。
彼は写真家であり、撮影対象のローズマンブリッジへの道を聞くため、フランチェスカに声をかけたのです。

フランチェスカは、ロバートにローズマンブリッジへの道案内を申し出ます。
ここから、フランチェスカとロバートの、たった4日間の恋愛が始まったのです。

素朴な美しさが刺さる、4日間のラブストーリー

心の底から愛した人と、たった4日間しか一緒にいられないとすれば、あなたは何を思いますか?

今作『マディソン郡の橋』は、短い期間の恋愛を描いた作品です。
その期間は極端に限られており、フランチェスカとロバートの2人ができることはごくわずかです。

そんな短期間の恋愛を、今作は美しく描きだしています。
しかも、その美しさは都会的なスタイリッシュさを持つものではありません。
あくまでも牧歌的で、素朴な美しさです。

その素朴な美しさは、物語が田舎を舞台としていることも、フランチェスカが農婦であることも、関係がありません。
映像美に由来している部分もあるにはありますが、一番大きな点は、2人の関係や愛情が、人間の根幹に由来するものだからでしょう。
都会は人間が作ってきた文化ではありますが、そうではない風景の中に、人間古来の美しさが隠れています。

人は、考え方や精神的な面が近い人に親近感を持ち、強烈に惹かれあいます。
それと反対に、自分と全く異なる人がいれば、できる限りそれを避けようとします。

フランチェスカとロバートは、互いに同じ考え方を有していました。
それが、今現在生きている世界からの疎外感です。
フランチェスカは家族を愛し、愛されながらも、現状に閉塞感を感じています。
ロバートは1人で働き生活しながら、世界に受け入れられない自分を感じています。
ただし、ロバートの人物像の方が、フランチェスカより難解かもしれません。

広い世界の中で、共通の考え方を持つ2人。
それらが引き合う力はとても強いものです。
そして、その力にどうしようもなく惹かれる様も、そして、なんとかはねのけようとする力も、人間だからこそ芽生えるもの。
そもそも、恋愛という感情こそがどうしようもなく人間的なものです。
だからこそ、今作に流れる素朴な美しさが生まれるのでしょう。

ちなみに、今作で最も美しいシーンは、物語終盤に訪れます。
フランチェスカと雨に打たれるロバートが永遠の別れを受け入れる場面は、彼らに深く感情移入していればしているほど、涙なしでは見られないものとなっています。

こうした美しいシーンを見逃さないためにも、是非静かな部屋での鑑賞をおすすめします。

「心の内側を知る」ということ~心の触れ合い・察すること~

仲間とのコミュニケーションは人間のみならず、様々な動物にみられるものです。
例えばイルカなどは、かなり高度なコミュニケーション能力を有しているとされています。

しかし、人間はさらに進化したコミュニケーション方法を生み出しました。
それが、言葉という方法です。
仲間内で使える言葉があるからこそ、自分の考えや感情を的確に伝えられるようになったのです。

では、人間は言葉だけでコミュニケーションを成立させているのでしょうか。
決して、そうではありません。
人間には、相手の雰囲気や目の動かし方などで、相手の感情を「察する」能力を持っているからです。
言葉を介さないがゆえに相手の気持ちを誤解してしまう可能性もありますが、場合によっては、より深い所にある思いを感じ取ることができます。

相手の気持ちを察するとは、つまり、相手の心に触れたということ。
そして、お互いの思いを察することができたならば、お互いの心が触れ合ったということができます。

今作『マディソン郡の橋』では、こうした心の触れ合いとでも言うべきものが、多数表現されています。

それは例えば、目の動き、余白の取り方。
橋の屋根の隙間からロバートを覗き見るフランチェスカと、それに気が付くロバート本人。
キッチンで何事かをするフランチェスカを見る、ロバートの目線。
会話のさ中に訪れる、一瞬の沈黙。
こうした表現は、2人の思いをしっかりと表現しているものの、ささやかであるがために、うっかりすると見逃してしまいそうになります。

映画『マディソン郡の橋』は、セリフが少ない訳ではありません。
むしろ、2人の間に交わされる会話はかなり多いもの。
メインの登場人物がごく少数であるだけに、会話の重要性は増します。
しかし、そんな会話よりもなお、目や余白で語られる感情が強いのです。

私たちは普段、特に意識せずとも相手の気持ちを察しようとしています。
その言葉の裏にはどんな気持ちがあるのか。
良きにせよ悪しきにせよ、隠された本音を捉えようとして考えてしまうはずです。

それがお互いにかみ合えば、気持ちの良い関係性が築けるはずです。
言葉を交わさずとも、理解し合える。
そこに至るのは非常に難しいものですが、ある意味で、理想の人間関係の形と言えるかもしれません。

フランチェスカとロバートは、この境地に限りなく近づいています。
一目見てお互いにピンと来るものを感じて以来(それは決して「一目ぼれ」ではありません)、その感覚は外れることがありません。

同じ時間を過ごせば過ごすほど、話せば話すほど、お互いの心の中に踏み入ることができたのです。
2人が一緒に過ごした時間は短いものの、その出会いと恋愛が「運命」であると感じることができたのは、そのためなのでしょう。

普段生活しているとき、そんな出会いが起こることは少ないかもしれません。
しかし、日常のコミュニケーションをおろそかにせずに、お互いに向き合うことをやめなければ、心が触れ合う瞬間が訪れるはずです。

そして、心が触れ合ったと感じたとき、その絆は決して千切れないものとなっているでしょう。

まとめ

映画『マディソン郡の橋』は、公開されてからそれなりの年月が経った今も、名作として名高い恋愛映画です。

その内容は、どこまでも大人向け。
静かな中に熱いロマンティックさがあり、しんみりしながらも感動できるものとなっています。
扱うテーマが「不倫」ということもあり、好き嫌いは別れてしまうでしょう。
それでも、それを分かった上で、多くの人に見てもらいたい作品となっています。

少し部屋を暗くして、できれば瓶のビールを片手に鑑賞してみてください。

Groupysta (グルーピスタ)

Groupysta(グルーピスタ)は、コミュニティ活動が楽しく簡単になる無料アプリです。

コミュニティの近況やイベントをチェックしたり、専用のトピックルームでおしゃべりしたり、オンラインでのイベントやミーティングも行うことができます。コミュニティ活動をより簡単にオンラインでも繋がれるようにしましょう。

Google Play で手に入れよう
App Storeからダウンロード