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映画「惑星ソラリス」~「人間」を模したものとの接触~

映画「惑星ソラリス」

遥か遠く、今の技術では辿り着けないような宇宙のどこかを描いたSF映画。
そういった作品の多くには、地球外生命体との触れ合いが描かれています。

そんなSF映画の中に、かつてのソ連で作られた作品があります。
その名前は「惑星ソラリス」。
有名なSF小説を原作とした、「2001年宇宙の旅」と並び称されるほどのSF映画の名作の一つです。

この記事では、「惑星ソラリス」から「未知なるものとの接触」に主題を置いて、今作を解説していきます。

映画「惑星ソラリス」の概要

「惑星ソラリス」は、1972年に公開されたソ連製のSF映画です。
原作はスタニスワフ・レムの「ソラリスの陽のもとに(「ソラリス」だけの場合もあり)」ではありますが、内容は異なるものとなっています。

監督は、芸術的な映画を撮ることで知られるアンドレイ・タルコフスキー。
主演はドナタス・バニオニスとナタリア・ボンダルチュク。
ナタリア・ボンダルチュクは今作に出演したことにより、世界的に有名な女優となりました。

また、2002年にはハリウッド版「ソラリス」として、リメイクもされました。

映画「惑星ソラリス」のあらすじ

ソラリスは、そのほとんどが海で構成された惑星です。
ソラリスの海は思考能力を持つ知的生命体だと考えられており、人類はこの惑星に調査団を派遣していました。
しかし調査は上手く行かず、今やソラリスの調査ステーション「プロメテウス」にいるのは学者である、ギバリャン・スナウト・サルトリウスの3人だけとなっていました。

しかし、あるとき以来、プロメテウスからの連絡が途絶えてしまいます。
その調査のために派遣されたのは、科学者のクリスでした。

プロメテウスに到着したクリスが目にしたのは、荒廃したステーション。
ギバリャンは彼が到着する前に自殺しており、その上、ステーション内にいるはずの無い人影もいます。
スナウトと出会い会話をするものの、不思議な現象に対する答えは返ってきません。

疲れて眠りについたクリスですが、その夜、一人の女性がベッドに入ってくるのを感じます。
その女性は、10年前に亡くなった妻・ハリーでした。

SF映画の傑作

SF映画の傑作と聞くと、何を思い浮かべるでしょうか。
多くの人は「2001年宇宙の旅」や「スター・ウォーズ」などを考えると思います。

こういった作品は確かに素晴らしいもの。
しかし、今作「惑星ソラリス」もまた、これらと同様に高く評価されたSF映画の一つです。
例えSF映画に詳しくなくとも、その素晴らしさは一目見ただけで分かるはずです。
ひたすら美しい映像の連続に、静かで、忍び寄るような、不可思議な怖さを感じるでしょう。

SF映画といえば、SFXがつきものです。
迫力あるシーンには現代技術を用いた映像が欠かせませんし、リアリティ溢れる映像であれば、作品世界に入り込むことも容易になります。

しかし、「惑星ソラリス」の素晴らしさは、そんなSFXに頼るものではありません。
SFXや映像の鮮明さだけに注目するのであれば、今作の数年前に作られた「2001年宇宙の旅」に遥かに劣るものでしょう(「2001年宇宙の旅」が素晴らしすぎる、という面もありますが)。

映画「惑星ソラリス」が持つ映像の美しさ。
それは、タルコフスキー監督の美意識を反映したものです。
神秘的な水の流れや、それを見つめる主人公の表情。
そして、「妻の姿をした何か」に抱く感情の難しさ。
そういったものを、言葉少なに、静謐に表現しているのです。

今作は、「見ていると眠くなる作品」だと言われることが多々あります。
それは今作が面白くないからなどでは決して無く、作品が持つ、こうした美しさに由来するものでしょう。
また、監督がわざと眠気を誘うように(簡単には理解できないように)作ったという話もあります。

「水」に「静けさ」。
これらは人の眠りを誘うのにぴったりな材料です。
そしてそれと同時に、奇妙な恐ろしさを感じるものでもあります。

深い水の底を覗いたことはあるでしょうか?
深い水の底は見えません。
見えなければ、恐ろしげな想像をしてしまうでしょう。
例えば、巨大な怪物が眠っているかもしれないと……

また、どこまでも静かな場所に身を置いたことはありませんか?
自分の息遣いや心臓の音が大きく聞こえ、ときには耳鳴りすら感じるような静けさです。
そうした静けさの中にいると、不気味さを感じることがあるはずです。

ソラリスは、見渡す限り海に覆われた惑星です。
海はそれそのものが知能を持つとされていますが、私たちの知るような生命体の形ではありません。
海の中に生物がいるかもわからず、すなわち、静かな世界です。

タルコフスキー監督が表現した水と静けさ。
これはまさに、ソラリスの世界そのものと言っても良いでしょう。

「未知なるもの」との関わり方

ここで改めて、コミュニケーションについて考えてみましょう。
例えば、全く何も知らない人と二人になったとき、あなたはどのような行動をとるでしょうか。

何も知らない相手。
それはつまり、未知の存在です。
何を考えているかが全く分からないため、どんな意図があり、何をしようとしているのかを予想することができません。
そして、それを知るためには、相手のことを知る必要があるでしょう。

「惑星ソラリス」には、相手のことを深く観察しようとする存在が登場します。
それは、ソラリスを覆う海であり、ソラリスという星そのものでもあります。

ソラリスの海は相手の意識下にある何事かを、その人の目の前に現わす力を持っています。
それは幻影などでは決してなく、触り、(人間であれば)話すことも可能です。
しかし、その内実は本来のものとはかけ離れており、主人公・クリスの妻・ハリーの姿を取って出てきた際は、尋常ではない怪力と治癒力を持っていました。
実際、ハリーが液体窒素を飲んで自殺を図るシーンがありますが、すぐに回復してしまいます。

自殺願望に、それを実行に移すということ。
これらは、人間が特徴とする感情です。
ソラリスによって具現化されたハリーは、人間ではないものでありながら、より人間らしいものになったのです。
作中には、ソラリスによって具現化された色々な「お客」が登場しますが、ハリーはそれらとは全く異なる存在です。

ハリーがここまで人間らしくなった理由は、クリスの言動によるものでしょう。
クリスは、ハリーがソラリスの産物だと理解しながらも、彼女を愛しました。
それこそ、一度は地球を捨てようと思うほどに。
戸惑いながらも彼女の世話をして、かつて失ったはずの妻との生活を、つかの間取り戻そうとしたのです。

ハリーなどのお客(作中でソラリスが具現化したものを指す言葉)は、ソラリスが人間に対して行うコミュニケーションの一環です。
人間が抱く強い記憶を具現化することで、相手がどんな人間か探ろうとしているのでしょう。
そして、強い記憶とはトラウマや後悔している物事が多いもの。
だからこそ、スナウトやサルトリウスらがパニックに陥ったのです。

そう考えると、クリスの場合においては、ソラリスとのコミュニケーションは成功したと言えるでしょう。
馴染みある姿を仮初の姿としながらも、お互いを知り打ち解けあうことができたからです。

コミュニケーションとは、お互いを知ることです。
お互いをそれぞれの言葉や行動で聞き、見て、一見しては知ることのできないような部分を理解することです。

クリス以外のソラリス研究者は、あくまでも科学的分析対象としてソラリスを見ていました。
交流対象ではなく、研究対象です。
これでは、ソラリスとのコミュニケーションが成立するはずがありません。

お互いがお互いに興味を持たなければ、同じ言葉を使っていたとしても、その人となりを知ることはできません。

まずは一人一人が、「人間」として知り合い尊重し合うこと。
それがコミュニケーションの始まりであると、今作は教えてくれるように感じます。

まとめ

名作と言われながら、その難解さから手に取る機会の少ない映画「惑星ソラリス」。

今作は確かに難しく、眠くなりがちな作品です。
しかしそれ以上に、見る人を惹きつける美しさと魅力があります。
そのため、高いハードルを乗り越えてでも、ぜひ見ていただきたい作品の一つです。

主人公のクリスと、「人ならざる存在」である妻・ハリー。
二人の関係は脆く儚いものでありながら、人間が持つ愛の強さと複雑さを感じさせるものでもあります。

SF映画としても人間そのものを描く作品としても一級品である「惑星ソラリス」。
取り扱いのあるレンタルビデオ店は少ないかもしれませんが、ぜひ一度鑑賞してみてください。

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